メキシコでの虚無感、起業の苦悩を共有し、未来を切り開く投資家へ

2019.07.10

2013年、大阪大学在学中にメキシコで、ENVROY MENIKAを創業。約3年間Clean Technology関連プロダクトの輸出・販売事業と、日本企業のメキシコ進出支援事業を手掛ける。2016年1月に現場を離れ日本に帰国、同年4月サイバーエージェント・ベンチャーズ(現 サイバーエージェント・キャピタル)に入社。現在は、投資家として活躍する北尾 崇(きたお たかし)さんに、これまでのキャリアから投資家としてのマインドセットについて伺った。

幼少期の経験が大きな原動力に

「学生起業家」のイメージが強い北尾さんですが、起業に関心を抱くようになったのは幼少期の経験が関係していると伺いました。どのような幼少期を過ごされたのでしょうか。

僕の両親が経営者で、小さい頃から経営者として働く両親の姿をみて育ちました。そんな両親の元で育ったこともあり、「いずれ自分も両親と同じ経営者の道を歩むんだろうな」と漠然と考えていました。しかし、当時1000人を超える従業員を抱えるホテルを経営していた父が他界してしまってからは、生活が一変しました。父の死からしばらくして、会社が倒産し、そこからの借金が家計を圧迫したことで、裕福だった暮らしから一転してしまったんです。

ただ、そんな中育ててくれた母親や、支えてくれた周囲の人に本当に恵まれてました。応援してくれる方々がいたからこそ、世の中の不条理を理由に自分に負けたくないという気持ちは子供の時から強く、それが今でも僕の原動力になっています。

ビジネスコンテストでの優勝がメキシコでの起業を後押し

学生時代、起業の地としてメキシコを選ばれたと思うのですが、実際に起業をするに至った経緯について教えてください。

幼少期を経営者の両親の元で過ごしたこともあり、「起業」という選択肢が他の人よりも身近にあったと思います。なので、高校生の時から、「大学に入学したら起業しよう」と考えていました。大学入学後は起業に向けて動き始め、CVS(国際的なリーダー育成を目指したNPO法人)が主催しているビジネスセミナーに参加しました。そのビジネスセミナーは大規模なもので、アメリカとメキシコの2ヶ国を舞台に、1ヶ月以上にわたってプログラムが用意されていました。そのビジネスセミナー中に行われるイベントの一つに、メキシコでのビジネスプランコンテストがあり、僕は多国籍チームのリーダーとしてチームを牽引する立場で参加しました。

当時は、自分にとってほぼ初めての海外。当然、スペイン語はもちろん、英語も大してできないにも関わらず、メンバーと団結して臨んだ結果、そのビジネスコンテストで優勝することができたんです。この時に優勝できたことがきっかけで「この事業なら、上手くいくかもしれない!」と思い、メキシコで起業することを決意しました。

社会貢献性の高い事業への挑戦

メキシコではどのようなビジネスを展開していたのでしょうか。

僕たちの展開していたビジネスは、二酸化塩素を使った空間上での除菌や消臭製品を日本やアメリカの会社から仕入れて、メキシコで改良を行い、病院等の医療施設へ販売するというものでした。もう少しわかりやすく言うと、空気中のウイルスや菌を二酸化塩素で除菌する、プラズマクラスターの医療版に近い製品を販売していました。私が起業した当時は、新型インフルエンザが世界的に大流行していた時期で、特に被害の大きかったメキシコやアメリカでは、多くの死者が出ていました。このような状況下で、高い除菌力と安全性を持った除菌製品を提供することができれば、メキシコ全土に大きなインパクトを与えられると考えていました。

ほぼ0からのスタート、仲間集めに奔走

メキシコで事業を展開するにあたり、ぶつかった壁はありましたか。

アイデアがあることを除けば、事業はほぼ0からのスタートだったので、事業を始めるまでに乗り越えないといけないハードルは多かったです。技術に強く、事業の経験豊富な仲間集めや、資金集め、一緒に組んでくれる企業とのアライアンス等に取り組む必要がありました。

事業のアイデア自体はイメージできても、僕自身が文系出身で、製品を作る知識や技術がなかったんです。そのため、製品として販売するためには、まず二酸化塩素を使った製品開発をしている日本のベンチャー企業と技術ライセンス契約を締結する必要がありました。

技術ライセンス契約を結ぶために、実際にベンチャー企業へ訪問し、直談判したのですが、最初は真剣に相手にしてもらえることもなく…。何度も訪問していくうちに情熱が伝わったのか、「メキシコで事業を一緒にやれる強い仲間」が見つかるんであればいいよ、と。

その流れで、一緒に事業を成長させるメキシコ現地の仲間を探すために、再びメキシコに渡たったんです。現地では、使える限りのあらゆるネットワーク駆使して、人材を紹介してもらいながら、ロジスティックスの知識に長けたコンサル出身の者と、化学系のPHDを取得している者等、4名のメキシコ人の仲間を集めることに成功しました。

メキシコ現地での事業展開でぶつかった大きな壁

ようやくメキシコでの事業を始める準備が整って、実際に事業を始めてからはどのようなことで苦労したのでしょうか。

実際に事業を始めてからは、これまで以上に厳しい課題に直面しました。僕たちの事業は、日本から二酸化塩素を貿易で取り寄せる必要があったのですが、日本では日用雑貨品の分類で売られていた二酸化塩素も、メキシコでは医薬部外品という扱いになってしまうんです。医薬部外品に分類されている二酸化塩素をメキシコで扱うには、アメリカのFDAと呼ばれる食品・薬品の使用に対する認可を与える機関からの医療認可が必要でした。

リサーチをしながら手探りで手続きを進めていく過程で、この事業を行うためには、FDAからの認可に必要な費用も含め、2年で数千万の初期費用が必要だという事実が判明し、事業を始めてから1年程でやむを得ずピボット(事業の方向転換)しました。

“後編に続く”