生きるか死ぬか、減る預金残高の恐怖。逆境を超えた投資家の証言

2019.05.29

新卒で入社したフューチャーベンチャーキャピタル株式会社では、地方の多種多様なベンチャー企業への投資を経験。その後に転職した株式会社インフォネットでは、前職からは一転し、組織を内部から支えるバックオフィス業務全般を社長直下で担う。投資家、ベンチャー企業のプレイヤーとしての経験を活かして、現在は再び投資家として活躍する森 雅和(もり まさかず)さんに、これまでのキャリアからベンチャー投資のリアルな現場についてお話を伺った。

ファーストキャリアでVC業界へ

大学卒業後のファーストキャリアでVCを選ばれたのは、どのような経緯があったのでしょうか。

私が大学に在籍していた2000年頃は、ベンチャーブーム真っ只中だったこともあり、ベンチャー企業への投資や投資後の育成って面白そうだなと漠然と思っていました。その後、就活の時期を迎えたときに、知人の紹介をきっかけに、地元京都でVCとして活動している会社の存在を知りました。そういった経緯もあって、その会社の社長が公演を行うベンチャーフォーラムに参加したのです。

実際に社長の話を聞いてみると、「ベンチャー支援って凄く面白そうだし、やりがいもありそうだな」と思ったので、後日電話で「新卒採用してますか?」と直接聞いてみました。「まだ未定」とのことで連絡先だけ伝えて電話を切ったのですが、その後に「新卒採用やってますよ」と連絡を頂き、面接を経て入社に至りました。私が入社したタイミングで会社が上場し、地方進出も加速していたフェーズだったので、非常に良いタイミングで入社できたと思います。

地方のVCとして、苦悩の日々

入社して1年も経たないうちに、京都から石川への異動を経験されたと伺いました。地方での業務で苦労したのはどういったところでしょうか。

京都から地方へ突然異動になってからは、石川県、福井県、富山県の北陸エリアを担当しました。当時はまだ20代前半ながら、メーカや小売、飲食からバイオの会社まで幅広く投資をさせて頂きました。

ただ、2000年代の前半だと、地方でVCとして活動している会社自体がとても珍しかったので、投資先や投資先以外からも、物凄く頼りにされました。実際、与信が不十分な会社にお金を出してくれる機関も少なかったので、資金繰りに悩みを抱えているベンチャー企業も多かったですね。

そのような状況でしたので、与信能力が十分に備わっていないけどサービスや経営者に魅力を感じて投資を決断することも多々ありました。その場合、投資を決断したからには、投資先の成長に向けた相当なコミットメントが必要で、経営者からの期待に応えるために、とにかく必死で働いたのを覚えています。投資家としてのキャリアが浅い一方で、投資家として求められるレベルは非常に高かったので、日々苦労の連続でしたね。

また、良いサービスやプロダクトを持っているけど資金調達ができないベンチャー企業への投資判断を迷った時に、「もし投資が決まらなかったら、この会社は潰れるかもしれない」という重い責任感を感じることも多かったです。ある経営者から、「会社を生かすも殺すも森さん次第ですよ」と言われたこともあって、精神的な負担も相当のものでした。

1つの会社に全てを捧げるために転職

フューチャーベンチャーキャピタルで投資家として6年間のキャリアを積んだ後に、株式会社インフォネットへ転職を決断された裏にはどのような想いがあったのでしょうか。

フューチャーベンチャーキャピタルでは、黎明期のベンチャー企業に投資をして、その後も事業計画から事業戦略の立案まで経営者と2人3脚で取り組んでいました。そういった時期を経て、投資先のベンチャー企業が成長をしていった時に、大きな喜びを感じる一方で、自分がサポートできることが少なくなることを実感するようになりました。というのも、成長する過程でCFOや事業責任者を採用し、組織としての体制がある程度確立した後では、必然的に貢献できるポジションが少なくなってしまうのです。

そのようなことを感じて私自身がVCでの仕事にもどかしさを感じ始めた頃、年齢的にもまだ20代後半でしたので、投資家としてではなく、自分自身の100%の時間と力を1つの会社のために捧げられる環境に身をおきたいと考えるようになりました。そのタイミングで、フューチャーベンチャーキャピタル在籍時に仕事を通じて知り合った株式会社インフォネットの社長と面談をする機会をいただいたんです。話をする中で、これまでは社長が担っていたバックオフィス業務全般を担うポジションを用意して頂けるということで、ジョインを決めました。

生きるか、死ぬか、ベンチャーのリアルな現場を体感

株式会社インフォネットでは、VCでの仕事とは畑の違うバックオフィス業務全般を担当された中でも印象に残っているエピソードなどはありますか。

営業と開発以外は全て担当していたので、財務、経理、法務、人事、総務まで横断的に組織を支える流動的なポジションで仕事をしていました。会社として規模が小さく、与えられる裁量も大きかったので、毎日が新鮮で仕事をするのが楽しかったです。やはり、自分自身の判断で決断をして仕事を進めることができる環境で挑戦できたことは、私のキャリアの中でも大きな財産だと思っています。

また、入社して間もない2009年にリーマンショックの波に煽られ、会社が大きく傾いたときに、バックオフィスサイドの人間としてシビアな判断や対応を迫られることも多々ありました。日々の資金繰りが厳しくなっていき、お客さんに製品の納品前に入金をお願いしたり、経費の支払いを一部ストップしたり、さらには、従業員への給料の支払いが滞る寸前まで資金繰りは悪化していったのです。以前は嬉しかった給料日が、自分がCFOになってからは一生来ないで欲しいイベントに変わってしまうくらい、当時は貧窮していました。こういった状況で、日に日に銀行残高が減っていくのを目の当たりにするのは、とてもリアルで形容し難い怖さがありました。

ただ、こういった辛い時期を残り超えた現在は、業績は回復・拡大し、今ではしっかり利益も出る優良企業になっています。このリカバリーの裏には、営業部門を筆頭に全社をあげてのとてつもない頑張りがありました。

そういった過酷な状況を乗り越えた経験や、生きるか死ぬかのフェーズのベンチャー企業のリアルな現場で培ってきた経験は、現在の投資の仕事にも活きています。