研究者を諦め、辿り着いたテクノロジーで産業を創るという選択肢

2019.09.30

「スタートアップは産業を創りだす中心的な役割」と熱く語るのは、米国セールスフォース・ドットコムの投資部門である Salesforce Ventures(セールスフォース・ベンチャーズ)で投資家として活躍する湊 雅之(みなと まさゆき)さん。東京工業大学大学院を卒業後に、新卒で独化学大手BASFに入社し、自動車、エレクトロニクス分野を中心に営業として活躍。同社退職後に渡米し、アメリカのカーネギーメロン大学でMBAを取得。帰国後は、ボストン・コンサルティング・グループ、グリーベンチャーズを経て、2019年1月にセールスフォース・ベンチャーズへ入社。今回のインタビューでは、湊さんが歩んできたキャリアを中心に、投資家としてのマインドセット、今のスタートアップ企業に期待することについてお話を伺った。

テクノロジーで産業を創ることに惹かれて

まず、湊さんのファーストキャリアについて伺いたいのですが、理系の大学院を卒業後、どのような経緯で営業として独化学大手BASFに入社されたのでしょうか。

実は、小さい頃からずっとエジソンのような研究者になりたかったんです。というのも、祖父も父もエンジニア出身で、幼少期からソニー創業者の盛田昭夫さんや、本田技研創業者の本田宗一郎さんの話をよく聞かされていたからだと思います。日本では、経済や金融の分野で世界に名を馳せた人物は少ないけど、世界に誇れる日本の歴史を築いてきたのは、商売人ではなく技術者や研究者だと聞かされて育ったことも、そのように考える一因だったと思います。そういったバックグラウンドもあり、大学・大学院では、同じ大学出身者のノーベル化学賞を取られた白川英樹さんのように、ノーベル賞を取れるような研究者になりたいと思い、研究に没頭しました。

ただ、修士過程が終わりに差し掛かった頃に、自分の進路に迷いを感じるようになりました。研究室に長い時間こもって研究をすることが、本当に社会にインパクトを与えることに繋がるのか、分からなくなってしまったんです。また、研究者になって自分の専門領域を決めて、研究に励んでも、その成果が認められるのは数十年後です。元々好奇心が強く、色々なことにチャレンジしたがる自分の性質もありますが、数十年という期間を対価に、一つの領域で真理を追究する研究者の道を選ぶのは、自分には合わないかもしれないと思うようになったのです。

このような経緯もあり、テクノロジーを産み出す研究者の道を選ぶより、テクノロジーで産業を創ることで、社会にインパクトを与えるビジネスの道に、強く興味を持つようになりました。そこで、僕自身が大学院で研究していた、石油依存ではない、大豆や砂糖など天然資源由来の環境に優しいプラスチックの領域で、この凄い技術で世の中にインパクトを与えたいという想いもあり、その分野で世界トップの企業であるBASFに営業として就職しました。

単純ではなかったビジネスの世界

研究者ではなく、実際にビジネスの世界で営業として働き始めてから、ぶつかった壁はありましたか。

僕自身が研究者だったこともあり、入社当初は物は売れるだろうなと思っていました。というのも、僕が物を選ぶときは、感情ではなく、必ずスペックで判断するからです。だから、スペックをよく理解しているというアドバンテージがあれば物は必ず売れると考えたんです。ただ、実際はお客さんの接待などで築いた関係値に重きが置かれていたので、考えていたほど単純な世界ではありませんでした。顧客との関係をいかに築いて、信頼を勝ち取るためにも、いわゆるドブ板営業と言われるものに近いことも沢山経験しました。

そういったこともあり、当時は既存営業を中心に、お客さんとの関係値の構築に時間を割くことになりました。でも、なかなか成果が上がらず、先輩から「お前は1円でも成果をあげたのか、飲むことくらいしかできないんだから、酒の場を盛り上げるために飲んでろ」と言われたこともありました。実際に営業の現場を経験してみて、ビジネスには様々な要素が包含されていることに気づいたんです。

入社当初は本当に辛かったですが、周囲からの期待に応えられない苛立ちや悔しさをバネに、営業として成果をあげるために必要な努力を積み重ねました。その甲斐あってか、徐々に自分なりのやり方やスタイルが確立していきました。そうすると、結果もついてくるようになり、最年少でビジネスユニットのリーダーに任命されて、営業マンとしては一定の成功を納めることができました。

ビジネスそのものを化学するために

営業としてご活躍されたのちに、MBAを取得されたと伺いましたが、なぜ営業マンからMBAを目指されたのですか。

営業として結果を出しながらも、自分が営業を一生続けていくタイプの人間ではないことは分かりきっていました。その一方で、新しい技術で市場を作りたいという気持ちは変わらなかったので、自らが1人の営業マンとして活躍すること以上に、ビジネスそのものを科学する方に価値があると考ええるようになったんです。もちろん、ビジネスを科学的に分析するには、知識や経験が必要なのでビジネスについて更に学ぶ必要がありました。

また、私が働いている会社が外資系だったこともあり、上司がみんな外国人でした。そして、彼らのほぼ全員がMBAを保有していたこともあり、ビジネスの世界で上にいくためにはMBAが必要だと思ったんです。そういった経緯もあり、ビジネスで活かせる最先端のテクノロジーや数値分析を学べるカーネギーメロン大学への留学を決めました。この当時は、働きながら勉強して、留学の準備を進めたので、朝4時に起きて勉強する苦しい日々を送っていました。体力的にも非常に辛かったですが、MBAを取ることでしか得られない未来への期待があったので、なんとか乗り切れました。

大企業の優秀な人の活躍できる未来のために

その後、帰国されてからはボストンコンサルティンググループに入社されたそうですが、同社でのご経験について教えてください。

帰国後はボストンコンサルティングへ入社しました。アメリカへの留学の際に、GoogleやAmazonほどの影響力がある新興のテクノロジー企業が日本には存在しないことを実感しました。その中でGoogleのような規模や影響力を誇る会社を作り、テクノロジーで新しい市場を作る際に鍵を握るのは大企業だと考えるようになったんです。つまり、日本の大企業の優秀な人が活躍できるような支援をすることに価値があると思い、入社を決断しました。

同社では、B2Bの産業材マーケットをメインに、中期戦略立案、組織改革を担当しました。営業からコンサルタントへと職種を転換したので、入社当初は仕事に適応するのに時間を要しました。また、コンサルタントの仕事が、経営層とミーティングをして、戦略を描く仕事だったので、当たり前ですが仕事で求められるクオリティも相当高かったです。こういった環境もあってか、自分が成長しているという実感はありました。

ただ、僕は入社以来、業績が悪化している企業を好転させるターンアラウンド系の案件を担当していました。そのため、時には課題を特定するために海外市場のリサーチをして、情報をインストールするプロセスが必要な案件もあったんです。僕自身は現地にはいないので、優秀な海外の人材を自ら採用する業務なども担当しました。採用の仕事に限って言えば、一日中海外の候補者と面接をすることも多かったですね。

このような仕事をしている過程で、自分は成長しているけど、大企業支援を通じて「新しいテクノロジーで市場を創る」という自分のそもそもやりたいことからは、遠ざかっているのでは、と感じるようになりました。ターンアラウンドは、危機に瀕している企業の立て直しに近いため、テクノロジーで市場を作るというフェーズの手前段階にあたるからです。また、この時に自分の子供が誕生して、子育ても積極的に参加すると決意したタイミングも重なり転職をすることにしました。(後編に続く)