起業の楽しさもつらさも分かるから、僕は起業家を支援する

2019.07.10

初めて起業を経験したのは、大学1年生の時だったと語る進藤圭さん。7年かけて大学を卒業した後、新卒でディップ株式会社へ入社する。同社での自分を「特殊部隊の人」と表現するほど、営業、企画、編集、新規事業など、様々な領域で自ら事例を作り出し、事業成長に貢献してきた。そして現在は、スタートアップへの投資業務、その後の成長支援に注力している。今回のインタビューでは、端から見れば順風満帆にも思える進藤さんのキャリアに隠された過去の失敗体験から成功体験まで、今スタートアップ界隈から注目を浴びる投資家の素顔に迫った。

大学1年次に初めての起業を経験

現在は起業家を支援する立場にいる進藤さんですが、ご自身が初めて起業をしたのは大学1年生の時だと伺いました。どのような事業を展開されたのでしょうか。

初めての起業は大学1年生の時で、イベント会社を起業しました。実は起業前から、サークルの新歓が盛んな時期に幹事を代行するというサービスを運営していたんです。当時は、やってみたいと思ったことを、とりあえず自分が楽しめる範囲でスタートしました。そして、実際にサービスを始めてみると、順調に知人のネットワークが拡大してきたので、イベント会社を起業することになったんです。こういった経緯もあり、当初から「起業したい!」と思っていたわけではなく、自然な成り行きで起業することになったという表現の方が正しいですね。

イベント会社の経営は順調そのもので、徐々に規模も大きくなり、儲けも十分にありました。ただ、あまりにも会社の規模が大きくなりすぎてしまって、自分の手に負えなくなってしまったんです。規模が大きくなったことで、必然的に関わる人数も増えていったので、どんどん人間関係で疲弊してしまいました。そうなると自分の会社への愛着も薄れていく一方で、仕事も楽しくなくなったんですよね。こういった事情もあって、最終的には他のイベント会社に僕の会社を売却することにしました。

大学2年次に家具のEコマースで2回目の起業

初めて起業した会社を手放してから、2回目の起業ではどのような事業をされたのでしょうか。

2回目は、僕が大学2年生だった2000年初頭に、家具のEコマースの分野で起業しました。ある時に、喫茶店で使われている家具の多くが、個人で輸入をしているのでとても値段が張るということを知りました。それから、実際に現地で売られている物と日本で売られている物を比べてみる機会があり、同じ商品でも値段に大きな差があることがわかり、この仕組みをうまく利用できれば、安く買って高く売れそうだと考えたんです。そこで、大学の留学生の友達も多かった僕は、留学生が実家に帰った時に現地で家具の写真を撮影してもらい、楽天やeBayにその写真を並べて販売することにしました。ユーザーがその写真を見て販売予約をしてくれたら、それから仕入れて販売するというドロップシッピング型のサービスですね。

しばらくは、サービスが順調だったこともあり、途中からは自分で物を仕入れて販売をするようになりました。儲かっていたので、さらに儲けようという欲が出てしまったんだと思います。それからは、自分で売れそうな物を仕入れるので、当然在庫を抱えることになります。また、家具を海外から輸入するとなると、当時はその家具が届くまでに3ヶ月くらいかかりました。そうすると、自分が売れそうだと思って仕入れた物も、3ヶ月経過する頃にはトレンドが過ぎてしまうんです。もちろん、トレンドが過ぎてしまうと売れにくくなるので、最終的には在庫が捌けなくなり、多額の借金を作ってしまいました。口座の残高がなくなっていく恐怖を味わったのもこの時ですね。結局、2回目の起業で作ってしまった借金を返済するのにプラス3年かかり、大学にも7年間在籍することになりました。

ディップ入社後は、とりあえずやってみることでキャリアを切り開く

大学時代に起業を経験され、新卒ではディップ株式会社に入社された進藤さんですが、同社ではどのようなキャリアを歩まれてきたのでしょうか。

初めての配属は新規事業の営業職でしたね。ジョブエンジンという採用ホームページの検索エンジンの営業を担当しました。しばらくは営業マンの仕事に集中していたのですが、同じ部署の営業社員が、みんなバラバラの営業資料を使用していることに気づいたんです。これでは、上手く営業が機能しないと考えて、「この営業資料を統一する仕事がしたい」と直訴して、企画部に異動することになったんです。

当時は、「とりあえず、やりたいことをやってみる」というスタンスで仕事をしていました。このようなスタンスで仕事をしていたので、子会社の設立や新規事業の立案および実行など、「よくわからない仕事は、とりあえず進藤に任せる」という、特殊部隊のような役割を担うようになっていきました。アクセラレータープログラムを立ち上げた際も、特に誰かから許可を得たわけでもなく、所定の予算内でとりあえず始めてみました。結果的に、上手くいって、成功事例も作れてきたので、今では一つの事業としてすっかり定着しました。

他にも、即席メンバー4人が集まって立ち上げた看護師向け転職サイト「ナースではたらこ」が3年で15億円の収益を生み出すまでにグロースできたこともあります。ディップの資産が、看護師の求人マーケットにフィットすることも手伝い、この事業は急成長しました。

ただ、立ち上げてきた事業の数も多いので、失敗もたくさん経験しました。その中でも、某転職サイトを立ち上げた際には、グロースに失敗して1年で数億に及ぶ損失を出してしまう経験もしました。この額の損失を計上すること自体普通ではありえないことだったので、へこみましたね。このように、僕は自分の関心のあることや好きなことを基準に、とりあえずやってみることでキャリアを切り開いてきました。