大企業の破綻を体験し、メガベンチャーを創造する。信じた課題に突き進め!

2019.04.25

「自分の信じた課題に突き進んで欲しい」と語るのは、WiLでパートナーを務める久保田 雅也(くぼた まさや)さん。新卒で入社した伊藤忠商事を退職後に、リーマン・ブラザーズ証券に入社。大企業からスタートアップまで、クロスボーダーでのファイナンスやM&Aに携わった後、2008年の「リーマンショック」での同社の破綻をを機にバークレイズ証券へ籍を移す。2014年からは、自身の経験を活かし更なる活躍ができる舞台を求め、創業メンバーの一人としてWiLに参画。現在は、スタートアップへの投資と大企業のオープンイノベーションを担当している。今回のインタビューでは、グローバル投資銀行で世界のテック企業やスタートアップの経営・財務戦略を支援し、その経験を基にVCとして活躍する久保田さんの素顔に迫った。

投資銀行時代。成長できる充実感と、クビになる危機感。

現在はパートナー投資家として活躍されている久保田さんですが、バンカーとしてはどのようなキャリアを歩まれてきたのでしょうか。

新卒で入社した伊藤忠商事を1年で退職してリーマン・ブラザーズ証券へ転職をしたのがバンカーとしてのキャリアの始まりです。有資格者なら食っていけるのでは、と学生時代に公認会計士を目指しなんとか試験にパスしたのですが、今度は会計士に落ちた時に入社しようと内定していた商社が面白そうと思って、会計士補になるのをやめ、そのまま入社したんです。

伊藤忠はカルチャーも人も凄く魅力的で良い会社でしたが、華やかな世界を期待していた自分に待っていた現実は、毎朝金庫の鍵を開けたり、書類整理などの下積みの地味な仕事の連続でした。当時無意味な自信で尖っていた自分は、OJTでもいい、もっと即戦力として活躍させてくれる場を求め、丸1年で同期最速の転職をしました。折角入った大手商社を辞めると聞いて、親は泣いてました。

米国で「投資銀行」という業態が、産業構造の変革や業界再編の黒子として大きな役割を担っていると聞いて、リーマンブラザーズの門を叩きました。当時の外資系バンカーは天才か変人のどちらかで、自分の自信は簡単にへし折られました。「ここにいると成長できる」という充実感と「このままだとクビになる」という危機感のはざまで、毎日必死で働きました。

リーマンは大手投資銀行と比べてブランドも弱く日本での歴史も浅かったので、ファーム全体としてもハイテクやインターネットなどの若い企業に注力していました。比較的小さな組織であるが故に若くして責任ある役割を任せてもらえる、フラットな組織が魅力でした。ある意味「ベンチャーっぽい」というか、前例も前任も何もないので、自分達で切り開く、考える前に動く、大手にできないことをスピード感とリスクをとってやる、無いものは自分で作る、そんなカルチャーだったのがベンチャーと向き合う今の仕事にも繋がっていると思います。リーマンには11年在籍し、グローバルなファイナンスやM&A案件に最前線で携わることができました。

その後は、2008年にリーマンが倒産してしまったのを機に、バークレイズ証券へ籍を移すことになりました。バークレイズは更に小さなプラットフォームで、日本の投資銀行ビジネスは立ち上げに近い感じでした。リーマンの投資銀行本部の同僚は当時70名ほどでしたが、バークレイズに移籍したのは5名。当時、実績もチームも何もないバークレイズに移るかどうか、マーケットは総崩れした中で、苦労は目に見えている。目を瞑って飛び込むかどうかだと、最後はNYの同僚に”Dive close your eyes (目をつぶって飛び込むしかない)”と背中を押され、参画しました。

世の中何が起こるか分からないと身を持って知った、リーマン・ブラザーズ倒産。

リーマン・ブラザーズ証券が倒産した当時も在籍されていたのですね。当事者の立場から見た倒産劇について、エピソードがあれば伺いたいです

社内はまさにタイタニックさながら「世の中いつ何が起こるか分からない」と身を持って知った初の出来事でしたね。2008年の9月の3連休明けに倒産しましたが、連休前の金曜の夕方に全社員が集められ、「この週末に買収される可能性が高い。複数買い手が名乗り出ているのでそのどこかになるだろう。情報には留意してみんな連絡を取り合う様に」と呆気なく言われて。ところがその週末、ニュースでチャプター11(倒産処理手続)の文字を見たときは驚きました。「買収じゃなくて倒産じゃん!」って。その日のうちに六本木ヒルズのオフィスに集められて、「給料はどうなるんですか?」「社宅契約の家はどうすれば?」と泣き叫ぶ社員もいたりで、混乱の極みでした。よくテレビで出てくる、段ボール箱持ってピースしてるNY本社の映像、あの日です。六本木ヒルズの一階にもTVカメラがいて、隠れて帰宅したのを覚えています。

翌日からはクライアントから電話がなりっぱなし。「大変ですね」と声をかけてもらったと思いきや「ところでウチが預けている保護預りの株式ですが」と、当たり前ですがみんな背に腹な状況でした。オフィスに出社する度に会社の備品がどんどんなくなっていきました。バイク便のツケ払いが現金になったとか、コピー機や自販機とか一つずつ無くなっていって。「会社の資金はあと1ヶ月しか持たない」とか「来月の給料は払われないらしい」とか、いろんな噂が飛び交っていました。マーケットは大混乱だったのですが、いろんな人が「脱出船 = 救命ボート」を用意しようと動いていて。ある人が「部の全員が乗れる船を用意できたぞ」と宣言して徒労に終わったり、一人乗りボートで勝手に脱出する人がいたり、もうほんと人それぞれで、人間模様でした。

まさか前日まで潰れると思っていなかった会社が倒産したことで、自分の中にははっきりと「あり得ないと思えることも現実に起きる」という意識が芽生えました。世の中に永続的なものはないし、それを当たり前にしてしまってはいけない。そして危機対応における組織運営は「最悪の事態を想定して早めに手を打つ」こと。時にマーケットは過度に振れすぎることがあり、後手に回ることで選択肢が狭まるのだと痛感しました。

WiLに創業メンバーとして参画。日本からメガベンチャー作る。

バンカーとして様々な現場に立ち会ってきた久保田さんですが、2014年にWiLに創業メンバーとして参画を決断したのはどのような経緯があったのでしょうか。

大企業が経済にもたらす影響が大きいことも事実ですが、このイノベーションのスピード感であれば、スクラッチで社会を変えていくような動きを見るのは難しいと考えるようになったんです。

バンカーとしての仕事は楽しく成果も上がっていたのですが、どこか物足りない気持ちがありました。投資銀行業界自体がコモディティ化したというか、組織が大きくなるに伴って普通の会社になっていった。自分が業界に飛び込んだ当時のように大企業のトップに戦略とディールをアドバイスをするよりは、プロジェクトのプロセス管理やバリュエーション分析など、結論ありきの後付けの仕事が増えている様に感じました。そして、大企業の硬直性というか、世界のスタンダードと比べると日本企業は意思決定が遅く、リスク回避的で、フラストレーションを感じていました。M&Aの交渉中に不毛な社内の議論で時間を浪費し、入札が時間切れになったり、相手が痺れを切らして流れた案件は山の様にありました。ちょうどこのようなことを考えているタイミングで娘が産まれたこともあり、これからの世代について考える機会も自然と増えていきました。そして、自分の将来を見据えた時に、このまま投資銀行に居ても、自分の時間をもったいなく過ごす可能性があるかなと考えるようになったんです。

僕がそのようなキャリアの分岐点に立っていた時に、伊藤忠商事で先輩だった西條晋一さんから、WiLのプロジェクトにお誘いを頂きました。CEOの伊佐山元さんから「日本からメガベンチャー作る」「大企業にイノベーションを起こす」そして「日本はサブスケールのIPOが量産されており、成長を支援できる大型のリスク資本が足りない、その一翼をWiLが担いたい」というWiLの使命感に深く共感しました。といっても当時はファンドも組成中でオフィスもなく、伊佐山さんの構想を描いた「伝説のパワポ」があるのみ。バンカーとして難なく食っていける自信はありましたし給与も恵まれていましたが、なぜかその場で即答していたのを今でも覚えています。

シリコンバレーの知見と人脈を活用し、1兆円超えを目指す企業をサポートしたい。

そもそも、メガベンチャーを作りたいと思うのはどのような思いからでしょうか。

作りたい、というか、このエコシステムの中で、自分が最も貢献できるのではないかという想いと、これまでの経験に基づく問題意識ですね。僕自身、投資銀行の東京、NY、香港のオフィスで働いて、現地のスタートアップとも沢山仕事しましたが、日本のベンチャーは皆優秀なのに、どこか日本に閉じて日本という市場に最適化されてしまっている。ベンチャー業界内では盛り上がっているけど、メインストリームの日本経済におけるインパクトはまだ小さい。ましてやグローバルな存在感は乏しいし、成功事例や支援者も乏しい。シリコンバレーのテックの先端で何が起きているのか、英語での情報は全く届いていない。

海外の人は日本の文化や食事などには関心ありますが、マーケットとしての関心は急速に薄れつつある気がします。一方で、シリコンバレーのスタートアップのピッチなど聞いていても、起業家としての質はあまり変わらないというか、日本の起業家の方がビジネスモデルを練り込んだり、サービスを作り込む部分は優れているのではと思うことすらあります。不利なのは、米国の場合は自国向けに作れば英語圏は連続的に視野に入りますが、日本のサービスはUIや言語含めて特殊なので、海外を視野に入れる段階で非連続な事業開発が必要になってしまう点です。つまりチーム構成や課題設定など、セットアップが「ボーン・グローバル」ではない。

そして支援体制。最近の起業家の中には、本気で世界を目指したいという目線の高い人も増えたと感じます。一方で、グロース期特有の課題に対して、VC含めた支援者全体にも研鑽と努力が求められていると感じます。WiLでは20名強の米国チームを持ちシリコンバレー現地の知見と人脈を活用できること、そして日本の大企業のもつグローバルの人材やリソースを活用できる点が強みです。海外のマーケットをブレイクして1兆円超えを目指す気概のある企業を本気でサポートしたいという想いは強いですね。