事業開発を先導して学んだ0→1の過酷さ。起業家の近くで寄り添う投資家として。

2019.07.31

「自己実現のためにがむしゃらに突き進んでほしい」と起業家に熱いメッセージを送るのは、ベンチャーユナイテッド株式会社で投資家として活躍する植 雄平さん。投資家としてのキャリアを歩む前は、株式会社ネットエイジグループ(現 ユナイテッド株式会社)でメディア事業からアドプラットフォーム事業まで幅広い事業を手がけてきた。自身が責任者として組織を牽引してきた経験から、事業をグロースさせることの楽しさも、難しさも熟知している。今回のインタビューでは、そんな植さんのこれまでのキャリアから、投資家としてのスタンスまで様々なお話を伺った。

投資先の状況に応じた支援で貢献

現在ベンチャーユナイテッドで投資家として活躍されている植さんですが、まずは現在行なっている業務について教えてください。

現在は、幅広い業種のスタートアップに投資をさせていただいてます。投資ステージはシード、アーリー、がメインですね。投資までの一連のプロセスに携わっているので、ソーシング、投資検討のためのデューデリジェンス、投資後の成長支援が業務の中心になります。

投資後のサポートに関しては、投資先の起業家の方からオーダーを頂いた際は、僕のできる範囲でなんでもお手伝いするスタンスで仕事をしています。マーケティング展開に関わる大局から詳細設計までサポートすることもありますし、事業成長に必要なパートナーとのパイプラインが必要であれば、自分の人的ネットワークを含めて必要なパートナーにアクセスできるようアレンジするなどもしています。

支援活動については投資先のその時々の状況に応じて、できる限りの事をサポートしてあげたいと考えています。

同じ思いを持ったチームメンバー共に、0→1で事業を推進

投資家としてのキャリアを歩む前は、デジタル広告のプロとして実績を残してきたと伺いました。投資家になった今でも忘れられない当時のエピソードなどありますか。

ベンチャーユナイテッドでの投資業務に就く前は、昔をたどれば株式会社ネットエイジグループ(現 ユナイテッド株式会社)で新規メディア開発/運営/運用と経験させていただき、アドネットワークやアドプラットフォームの新規事業開発など、事業の作り手としてのキャリアを歩ませてもらいました。本当にいろいろな事に挑戦させてもらえたと思いますし、事業が伸びない、数字が出せないといった危機的な状況も何度も経験させてもらいました。

特に、事業責任者の立場で担当した新規事業が、単月で数千万の赤字を出したときは本当に辛かった(怖かった)ですね。その新規事業は、自分でアドプラットフォーム事業を企画して、経営に挑戦させてほしい旨伝え、その機会を与えていただきました。事業の内容は、スマートフォンメディアの広告収入の最大化を図るスマートフォン向けのサプライサイドプラットフォーム(SSP:メディア向け広告マネタイズサービス)を立ち上げるというものでした。

当時この事業を成功させるためには、まず広告を配信するための広告枠を圧倒的に獲得する必要がありました。それを実現する為のメディア在庫を買い取る形での投資をする方針を出し、積極的にリクルーティングを行う展開をしました。状況によっては競合よりもかなり高い価格でしか在庫を確保できないケースもありましたが、中長期的に考えても、当時、そのタイミングで一定規模のシェアを早期に取らないと、スマートフォン広告市場が立ち上がりつつある中で生き残れないと考えていました。思惑として「タイミングは今しかない」としながらも、まだまだ広告主の数は少なく、広告枠は確保したが、広告案件がしっかり流通しないという状況が続き、結果として投資額も大きくかさんでいきましたが、広告流通量が増える事を信じて、広告主の案件を保有するデマンドサイドの広告プラットフォーム(DSP)との接続を国内外の事業者含め、推し進めていきました。

ただ、僕らの予想に反して、事業自体はなかなか伸びずに、投資額はかさむ一方で、このままでは事業を継続するのは企業としはむずかしいと、いつ判断されてもおかしくない状況だったと思います。しかし、当時のユナイテッドの経営は我々チームを信じてくれました、そして時間と投資を継続してくれました。そんな折、ようやく事業が上手く回り始めたんです。おそらく、僕らが提供していたサービスが市場に受け入れられ、当時のスマホメディア向けマネタイズとしてフィットしたタイミングだったのかもしれません、更に、スマートフォン広告市場自体もしっかり立ち上がり始めたという点も非常に大きな成功の要因だったと思います。

赤字の期間は、緊張感と不安で頭がおかしくなりそうな日々を過ごしました。僕の企画立案した事業に機会をくれた会社や、「やるしかないんだ」という同じ思いを抱き、必死に事業成長の為、全力を注いでくれたチームメンバーには、今でも心から尊敬の思いを持ってます。当時、なんとか事業を成功させないと、チームのメンバーが辞めてしまうのではないか?と勝手に自分で思って、それを恐れていたように思います(笑)そんな事は今考えればないと思うのですが、その当時はそういった事も考えて、だからこそ、なんとか成功させなければならないと、自分に言い聞かせていたようにも思います。

人と事業のフェーズに合わせた、チームありきの組織作りが鍵

事業部長として様々な体系の組織を牽引した経験をお持ちの植さんですが、チームとして成果をあげるために意識して取り組んだことはありましたか。

当時は常に推進力を持って、スピード感をもって事業を前進させる事を意識していました。チームメンバーには背中しか見せないくらいの気持ちでした。そういった気持ちで働いていたのも、チームのメンバーから「追っかけよう」、「ついていかないと置いてけぼりになる」と思ってもらう事が、組織として成果を上げるためには大切なんじゃないかと漠然と思っていました。言い換えると、「一緒に頑張ろう」というスタンスよりも、「突進する」という姿勢で組織を引っ張るリーダーにメンバーは自然とついてくるんじゃないかと思います。だから自分が先陣を切ってチームメンバーを先導することに注力していました。(間違った方向に先陣を切って、それによる失敗も結構ありましたが・・・)

また、チームメンバー同士が互いに尊敬しあう事もとても重要と考えてます。自分にはできない事をやってくれるメンバーを尊敬する、その意識の襷掛けによって、個々人が得意分野で成果を残す事を意識するようになると思います。チーム全体で互いに尊敬できる雰囲気が生まれる事で組織力が上がっていくと思うんです。

上述した数年に及ぶ赤字期間を乗り越えて、事業をグロースできたのも、チーム全体で互いを尊敬し合える文化が根付いた事が大きかったと思います。仮に、事業が上手くいかないことを他責にするメンバーがいたら、どこかで組織全体にヒビが入り、途中で頓挫していたかもしれません、特に事業の立ち上げフェーズでは。もちろん、事業の成否がマーケットの状況に左右されることが多いですが、チームありきで初めて事業が成り立つことを考えると、やはり人と事業のフェーズに合わせた組織作りが鍵になると考えます。